2018.11.3

このカテゴリーは、過去にHo'ailonaで連載していたものを再掲しています。なぜだかわからないけれど、昔から、友人・知人とお酒を飲みにいくと、みんなに「ママ」と呼ばれる機会が多く、「クラブ整体」が生まれました。特別な健康法を提案するのではなく、自分を楽しく機嫌よく生きる、ちょっとしたヒントになればと綴っています。(注:ママキャラは、連載時のみですのでご安心を。)

♯3 恬愉と健康

人々はみな健康になりたいと口を揃えて言います。そして、巷には健康情報が溢れています。最近では未病などという言葉も出てきており、病名が付いていないからといって健康体ということでもなさそう。ママが考える「健康」というものは、そもそもどんなものでしょうか? 合わせて、ママの本業の屋号にもある「恬愉(てんゆ)」の意味も教えてください。

あら、いらっしゃい。今日ね、美味しい林檎をいただいたの。お好きかしら?
お酒と一緒にどうぞ。

それにしても「健康」って、巨大マーケットよね!すごく理想的な状態のようで、漠然としている。個々人の判断でどうとでも捉えることもできる。マーケットとしては底なしよ。

その昔から不老長寿とか、その手の商品は枚挙に暇がないでしょ?だからママ自身は、あまり「健康」って言葉は使わないの。

「その人なりに敏感であること」だと捉えて、「健全」とか「正常」なんて言い換えてるわ。敏感過ぎると「過敏」だし、鈍ると「鈍感」よね。

日頃、皆さんをみてると、ある部分は過敏で、ある部分は鈍感という風に入り混じってるわ。そのバランスが程よいのがその方の個性や体質と言えると思うけど、そのタイプを逸脱する無理が続いたり、しっかり眠ったり休んだりしても快復出来ないほどの偏りが出てくると、調子良くはいかないわよね〜。

その時に、自分に適ったやり方を選んで快復出来ることが、ひとつの「健康体」と言えるかも知れないわね。

難病と折り合いをつけながら「元気」に「楽しく」やってるなら、それもその方に適った「健康」 だと思う。要は、一瞬の状態を切り取って乱暴にジャッジできるものでは無いと思うの。人生の経過の中で、その時がどういう意味を持つのか。長く見つめる必要があると思うわ。

東洋医学で“未病”っていうのは、すごく大切な考え方。病気とまでは言えないけれど、病気になり かかっている状態。それに先手を打つよう、予測して働きかける事を“未病を治す”と言って尊ぶの。

予測して働きかけるんだから、冷静で正確な視点が前提で、“上工(ものすごく優秀な医師)は未病を治す”、と古典書に書かれてるわ。そんな難しいこと、最近注目されてるの?マスコミで?あらそうなの〜。
ママ気にしてなかったわ……。

そうは言っても、自分の状態に無頓着な方には、響かないわよね?人って痛い目を見ないと、心底学習出来ない場合もあるじゃない?逆に、石橋を叩いても渡らな い場合もあるし。

“未病治”も通用するタイプとか、タイミングとかがあるでしょうね。その人のその時に敵うかどうかよ。

ママの本店の屋号、「恬愉」の意味はね。「恬淡虚無(てんたんきょむ)にして愉し」。

つまり、「心にわだかまりがなくのびやかな様子」の事。中医学の授業で出合った言葉よ。古来から養生に大切な心得として説かれてる。
素敵よね〜!!その授業の先生も素敵だったわ♡ママが「健康」を捉える時に欠かせない見方よ!

モノにならないかも知れない自分に頭を抱えてうずくまってた学生の頃に、実は、すでに屋号にする事を決めてたの。矛盾してるでしょ?

でもその矛盾の中に、ママ自身の健康はちゃんと存在したから、今があるのよ♡