7月出張整体日程と、雑感「楽と快」
7月の出張日程が決まりました。
日程、予約状況は東京出張整体よりご確認下さい。
両親が寄る年並みに敵わず、放ってあった家庭菜園で大豆を作ってみようと思い立って数年。なかなか一人では腰があがらなかったので、有志を募り、やっとこさ草刈りからはじめました。
休日の朝1時間ほど、草むらと化した土地の草をひたすら鎌で刈るだけなのですが、しっかりと全身を動かし、汗をかく時間は、それはそれは爽快でした。
身体はちゃんと楽しく使ってなんぼだなぁ。と思った事です。
なかなかのへっぴり腰ですが、楽しさとしては好調です。
健やかに生きていくために、食事や睡眠、運動のバランスは言うまでもなく大切なのですが「楽しく生きること」はそれを上回って大切だと思います。
この楽しく生きることが大事なことは、みなさんなんとなく感じていられることでしょう。そして「楽」という漢字が含まれることからか
「美味しい物我慢してストレス溜めるよりは…。」とか
「嫌々運動しても健康に悪いよね。」などの甘ーい解釈も捨てがたい。
わかります。すごーくわかります。私もそう思います。
けれど、そう言いながら
「それは言い訳だよな…。」
どこかでそうも思っている方も多いのではないでしょうか。うん。それも、そう思います。
健やかさに繋がる「楽しさ」というのは、そういった後ろめたさの伴う「楽さ」よりも、心身共に「快い」状態という表現が適正です。
現代では、年柄年中、室温は適温に調整することができるし、季節や場所を問わず、様々な食べ物を口にすることも出来ます。便利な時代になりました。それでも、キッチリ空調が効いた室内から出た時の外気を、束の間心地良く感じる。忙しくて食生活が乱れていた時に、旬の新鮮な食べ物などを口にして染み入る美味しさに感動する。そう言った感覚を経験した方は、少なくないでしょう。
このように「快」と言うのは、その時の感受性でハッキリと「快」と確信出来き、妙な依存性もない感覚です。
とはいえ、生活全てを「快」で満たすということを理想にすると、それはそれは、苦悩と苦痛の連続だと思います。たとえば「快」と「楽さ」を混同している状態では、いくら頭で煩悶してもしっくりこないでしょう。それを長くそれを続けていると「快」をキャッチする感受性も鈍ったり、過敏になったりしているかも知れません。さらには、色々な体質、価値観の人間が共存する家庭や社会生活の中で、己の「快」だけを追求する訳にもいきません。他の人もまた「快」と「楽さ」の混同の中で揺れ動いていたりする場合もあります。
今現在生きている皆さんには、多かれ少なかれ体力が備わっています。ある部分は消耗していたり、ある部分は持て余していたり、それは凸凹だとしても、枯渇はしていません。
その体力を、少し「快」の探究に使うことをお勧めします。
頭も身体もクタクタでしっかり休むことが「快」なのか。どこか持て余している部分があり、それをキチンと発散させる方が「快」なのか。今の自分の「快」と「楽(ラク)」の判断は信頼できるのか。そういった視点を持ってみてください。
そうしてみてみると、その時の環境や、その時の体調に敵う行動を起こした時に得られる「快」に確信が持てて来ると思います。その感覚を、随時更新しながら、積み重ね「快」を掴むのがとても上手になった時、割と「楽しく生きる」ことが、「楽(ラク)」だし、健やかにつながっていきます。
私もまだまだ探求中ですが、恬愉での施術もアドバイスも、皆さんの生活それぞれの中で、効果的で無理の少ない変革を提案できるように心がけています。
出来るだけ、皆さんの視点もほぐして、一人では出来ない気付きのお役に立てるよう、こちらも探求して行きたいです。
「快」を得るには、ちょっと「勇気」や「忍耐」が必要な時も訪れますが、それがまた自分を育ててくれます。
それについてはまた別の機会に。
「衝動やただの我慢とは違う。」と書き残して、今回はこのあたりで失礼いたします。