2024.3.30

然るべく

今年、日本で一番早く、桜の開花宣言があった高知。
その後も、二、三日少し冷え込み、ほころびあぐねた蕾が曇天の下に並んでました。
昨日は、少し暑いくらい。
打って変わって、わっと咲き始めた桜にほっとしています。

季節の変わり目、溜まった疲れがでたり、まだ順応が進まず体調が崩れがちです。
4月の出張整体。まだ少し空きがあります。
ご検討ください。

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恬愉の近くの公園にて

 

先日の恬愉での、ある患者さんとの会話です。

「原さんは、あの時こうしてたらとか、違う道があったんじゃないか?とか思うことないですか?」
「いやあ。ないね。だって、見える道、選べる道を選んでここやもん。今になって違う道が見えたとしても、その時の私には見えんかったがやし。見えんかった道、選べん道は無いと一緒。」
「確かに…。」

言葉にしながら「我ながらサッパリした返答だわ。随分と楽に考えられるようになったもんだ。」と感じつつ、かつてはそうも思えなかった事も同時に思い出していました。

若かりし頃、やることなすことがうまくいかず、なんなら裏目に出て、情けない自分に嫌気がさし、それでも足掻いて、精も根も尽き果て、心から「消えたい」と望んだ時期があります。

「生まれなかったことにしたい」「存在しなかったことにしたい」
そんな非現実的な望みに捉われていた日々でした。
当たり前ですが、誰にも叶えることのできない望みです。
百も承知です。

生まれてきてから、疑いなく生きてきたのに、少しずつ溜まった人生の澱が爆発してしまった。
人間の浅はかさ、愚かしさ、煩わしさ、厚かましさ。
見えていたけど、気にしてなかったそんなことが、自分に内在していることを目の当たりにして、とても正気ではいられなかった。

普通に眠ることはできないものの、起き続けているわけでもなく、ふと気絶するように意識を失い、目が覚める。「ああ、生きてる…。まだ死ねてない。」
望みは叶わない。
そんな日々でした。

体調もボロボロ。食欲もなく、何気なく口に出来た果物すら消化不良。
恐ろしいほどのPMSがあるか、数ヶ月生理は来ないか。
突然不規則に喉元で拍動する不正脈。
それでも病気ではなかった。

消えたい。
なんで?
苦しいもん。
役立たずだもん。
誰と比べて?
誰にとって?

頭のお喋りを、止めることもできず、また飲みこまれていく。

自分を一旦止めるために、精神科へ自主入院。
なす術のない人たちとの出会い。
社会の歪みを押し付けられた人たち。
理不尽に手足をもがれ、そこに押しやられた人達。
エビデンスはないけれど、一瞥すればわかる。心優しき人達だと。

本来、正気になるべきは、その歪みを見てみぬふりして、自分を正当化して、問題を直視してない人たちでしょう?!
私、こんなことしてる場合じゃない。
生きなきゃ。甘ったれてる場合じゃない。
まだ、やれること山ほどあるわ。

「生きる。死ぬまでは。」

これが、決意でした。
「私は、生きる。死ぬまで。
ただ生きる。」
冷や水で目が醒めた感覚でした。

“ただ生きる”ことを決めたら、積み重ねることができるようになりました。

何かをしようとしない。
ただ生きる。
何かを見ようとしない。
ただ見る。
何かを得ようとしない。
ただ得る。

ひとりの人間が生きる中で、把握、理解出来る世界なんてたかが知れてます。
だからこそ、ちゃんと見て、ちゃんと聞く。
わからないことは、今の見る目を受け取り、置いておく。
思えば、他人と自分の境すら、わかっていなかった。
押し付けられたものは、押し付けようとした相手に返す。
按分するべき責任はきちんと按分する。

それを繰り返す中では、悩むほどの選択肢はなかったように思います。
そんな風に是正しながら生きてきて、

“然るべくことは動くし、然るべき時も来る。然るべき選択は明確にわかる。怠惰も見誤りも然るべく響く”

と結論づくに至りました。

結局は私自身が、幼い世間知らずの怠け者だったわけです。
魔法のように、今日、明日に自分の問題を無かった事のように解決したかった。
その能力が、喉から手が出るほど欲しかった。
一足飛びに。

少し前まで、思い出すたび脂汗が出るほど恥ずかしかった、自分の愚かしさや幼なさなど、消せない過去も、治らない傷跡も抱えたまま「まぁ、私の人生上等よね」と自分の人生を
「理不尽も、不条理もなくならないけど、世の中捨てたもんじゃない。」と世の中を
受け入れられるようになってきました。

気がつくと、いつの間にか少しずつ力みがとれ、心身がとても楽になっていました。PMSなぞ、この17.8年感じたこともございません。

「然るべくすすむ。どうにもうまくいかない時は、然るべかない(笑)」

あきらめるのではなく、今できることを重ねて、見える時、選べる時を待つ。

“ただ生きる”ために必要な道は、さほど悩む余地のない”然るべき”道だと思うようになった今、このブログが皆さんにとって、ふと力みを抜いて、今見えている道を大切に、生きる力に素直になれる一助になればと願っています。