2024.2.23

期待を知る

5月並みの陽気から、一転真冬の冷え込みへ。
今期の寒暖差には、なかなか身体も振り回されますね。
皆さまご自愛ください。
そして、春雨も多くなり、湿度も上がってきました。乾きに気をつける季節は、過ぎ去ろうとしています。
自然と水を飲む量が減って来た方。今期の冬の水の量、適切です

"

太平洋から昇る朝日

“期待をみる”
“期待を手放す”

今回紹介するのは、このふたつの過程に取り組み、消化する中で、混乱してしまった患者さんのお話です。

その方は未就学児三人を抱えた母親。末の子供は授乳や夜泣きの世話が必要な女の子。上ふたりの子供は四六時中元気な男の子です。

そんな目の回るような日々を過ごしている最中、彼女にとって夢がつまった、願ってもないような仕事の依頼が訪れました。

元々、負けず嫌いの頑張り屋。
努力が実ると信じて何でも取り組む方です。
家事も育児もやらなきゃいけない。
夢だってつかみたい。
やってやれないことはない。
身体はヘロヘロだけど、どうにか時間を捻出して、その仕事をやる。
それでも納得いかないのは、こんなに頑張っても、思い通りにいかない日常。

産後の体調不良が長引き、久々に来院をはじめた彼女でしたが、遠方に越す事が決まりました。

この時が最後の施術という日。
無理を重ね、これ以上身体に負荷をかけるのはまずいと判断し、私は彼女にストップを告げました。

最低限の日常を送る事のみに集中する。
育児も、仕事も、家事も、最低限。
しっかり休む。そして
思い通りの日常とは何か?
そこに期待がどう存在するのか?
「期待」について、観察し、手放すように伝えました。

身体を壊しては家庭も仕事もおじゃん、身体に直接アプローチ出来る機会もしばらくは来ない。そう考え、強めに伝えた事を私も覚えています。

彼女は、混乱しました。
私の希望(仕事)はどうなるの?
やっとつかみかけた夢に対して「期待をするな」だと?

しんどいし、上手くいってないし、変えなきゃいけないことはわかってる…。わかってる…。

混乱しながらも、期待を観察することは心に決め、帰路についたそうです。

引っ越し後はzoom相談に切り替え、たびたびに「期待の観察結果」を伝えてもらうようになりました。
続けてもらううち、疲労の自覚をし、休息を大事に出来るようになったと報告もあり、随分と体調も回復しているようです。
スポ根で無理を乗り越える癖も少しずつ手放しているとも聞きました。

期待を手放すことは後ろ向きでもない。
それはわかる。

飲み込み切れない思いを抱えながらも、彼女は根気よく「期待」を見つめつづけています。

そんな彼女だからこそ、わかりやすく書けているか意見をもらいたくて、前回のブログの下書きを読んでもらいました。

「あれ、期待と希望って、同じように感じていたけど、明らかに違うのかも…?」

私自身も「期待をみる」ことを続けて
「自分で責任を持つ希望」
「無責任な期待」
という見つけた答え以外にうまく説明出来ません。

みんなはわかるんだろうか?

彼女は、友達に聞いてみました。

「ねぇ、期待と希望の違いってなんだと思う?」
「期待は他人に対して使う言葉で、希望って言葉は自分が持つものっていうイメージがあるよね」

「あぁ!」

少し、角度の違う言葉。なんかわかりそう。

「期待は他人軸、希望は自分軸!ここで混乱してたんだ!」

そう思って、自分の混乱を振り返ったとき、私の出した「ストップ」を思い出したそうです。

「あー!私、あの時、希望すら打ち砕かれた。と思ってたんだ。そこに混乱したんだ!」
と。

そのことを、今回打ち明けてくれました。
「やっと、今までの空回りが、期待によるものなんだって飲み込めました。周りに期待して、自分に期待して、希望と期待を混同して、軸がなんだかわからなくなってた。今、やっとカタカタっと色々つながっている途中です。」だそうです。

確かに「希望」と「期待」の差が飲み込め無い状態で、ストップをかけられるのは、絶望的とも思える。
けれども、その差が飲み込めない時につき進む事こそ、大病や事故、大怪我に繋がりかねず、危険だからストップをかけたのです。

「夢」も「希望」も健やかであればこそ。

期待の観察中に混乱してしまった方。

どうか、根気強くみてみて下さい。

彼女曰く「途方もない気もしますが、これからはおもしろがりながら手放せる気がします。」

だ、そうです。

「私のように希望と期待の差が、ピンと来ない方もいると思う。私の経験が、少しでもお役立つのなら。」と、今回のブログ執筆に快く協力してくれた彼女に、深く感謝します。